作業興奮とは何か?
作業興奮とは、一度作業を始めると湧いてくる集中力や意欲のことです。
一般的に、人は作業を開始する前に面倒くささを感じます。意欲が湧かず、なかなか勉強や仕事に着手できません。しかし、面倒くさいのを乗り越えて一度作業を始めると、思ったより集中できる場合があります。これが作業興奮です。
作業興奮の提唱者
作業興奮は、ドイツの精神科医エミール・クレペリンによって提唱された概念だとされています。
内田クレペリン精神検査という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。あるいは、言葉は知らなくても検査を受けたことがある人は多いはずです。
企業が人事採用の場で使うテストの1種で、求職者に単純計算をさせて正確性や速度などを分析し、人事選考に役立てます。この内田クレペリン精神検査は、クレペリンによる研究内容を元に、日本の心理学者である内田勇三郎が作成したものです。このことから分かるように、クレペリンは人の作業パフォーマンスについて研究していました。
そして、クレペリンの研究内容が伝達・解釈される過程で作業興奮という用語が誕生したと言われています。
作業興奮のメカニズム
なぜ、作業を始めると集中力や意欲が湧いてくるのでしょうか。
やる気をつかさどるのは、脳の側坐核という部分から放出されるドーパミンだとされています。ドーパミンは神経伝達物質の1種で、神経間での情報のやり取りに使われる、いわば伝書バトのような存在です。側坐核から飛び立ったドーパミンは、神経伝達物質を受け取る受容体によって取り込まれ、やる気の向上などをもたらします。
そして、作業興奮を起こすのもこのドーパミンだと言われています。作業を始めると側坐核が刺激されてドーパミンが放出され、それがやる気アップを引き起こすのです。
作業興奮には副次的なメリットも
側坐核から放出される神経伝達物質には、鎮痛作用を持つものもあります。ドーパミンも例外ではなく、苦痛を和らげ、楽しい気分にさせてくれる物質です。
そのため、作業興奮によってドーパミンの放出量を増やせば、さまざまな苦痛を和らげられる可能性があります。たとえば、頭痛や腹痛に悩まされている際、ただじっとしているよりも手を動かして単純作業をしているほうが気が紛れるように感じたことはありませんか。これは、もしかしたら作業興奮によって放出されたドーパミンの鎮痛効果による効果かもしれません。
作業興奮は実は存在しないって本当?
先ほど、作業興奮という言葉はクレペリンの研究が伝達・解釈される中で誕生したものだと紹介しました。つまり、クレペリンが直接、作業興奮という言葉を定義したわけではないということです。
では誰がこの言葉を定義したかということですが、はっきりしたことは分かっていません。クレペリンによる作業の研究が古いものであるというのもあり、情報のソースを辿るのが難しくなっています。
作業興奮の本来の意味とは?
内田クレペリン検査の元になったクレペリンの研究では、作業開始後の特定の時間に作業パフォーマンスが向上することが判明しました。このパフォーマンスの向上が、本来の意味の作業興奮だと考えられています。あくまでパフォーマンスの向上であり、やる気の向上を意味していたわけではないようです。
日本のいくつかの論文では作業興奮という言葉が散見されますが、やはりパフォーマンスについて言及する言葉として使用されています。また、作業興奮はクレペリンによって定義されたものではなく、先述の内田勇三郎氏によるものだと読み取れる文章もあります。
参考:https://tokaigakuin-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=2136&item_no=1&page_id=13&block_id=21 https://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/1488#.YO1H7ugzbIU
作業が進んでやる気が出ることは科学的に証明されている
作業興奮という用語の出自については不明な点が多くあります。しかし、作業の進捗がやる気の向上を招くこと自体は間違いではないようです。
先述したメカニズムのとおり、脳科学的に説明が付く上、実際に多くの人が実感として認識しています。こうした理解の下地があったからこそ、エビデンスに欠けているにもかかわらず、作業興奮という言葉が日本で膾炙したのだと考えられます。
作業興奮が起きやすいのはどのような時?
作業興奮はどのような時に発生しやすいのでしょうか。
作業興奮の発動に必要な2つの条件
作業興奮のメカニズムによれば、やる気がなくてもとりあえず始めてみればやる気が出てくる、ということになります。ところが、実際には作業をしてみても結局やる気が出ないこともあります。
では、作業興奮が発生するにはどのような条件を満たさなければならないのでしょうか。
望ましい結果が得られること
勉強や仕事は比較的作業興奮が発生しやすい傾向にあります。なぜなら、それを遂行することによって得られる結果、つまり学力の向上や仕事の進捗などが望ましいものだからです。最初はやる気がなくても、「終わらせよう」という気持ちがあるから、後からやる気が付いてきます。
一方、望ましい結果が得られない場合は作業興奮は起こりにくいと考えられています。たとえば、志望校に合格するための勉強なら作業興奮が発生しても、本当は行きたくない大学に親に言われて行くような場合は、作業興奮は起こりません。「頑張ったところで無意味だ」という気持ちがやる気を削いでしまいます。
身に危険が及ばないこと
のぞましい結果が得られる行動であっても、身に危険が及ぶ場面では作業興奮は発生しづらい傾向があります。
たとえば、英語の勉強のために、車の運転中に英語の音声を聞いていたとしましょう。この場合、英語の学習に対して作業興奮は発生しません。そちらに注意を奪われ過ぎると運転が疎かになり、事故を起こす可能性があるからです。
そもそも、集中というのは時として身に危険をもたらす活動です。ある一点ばかりに注意を注ぐと、他の物事への注意が疎かになります。自然界でそのようなことをしていれば、自然環境の脅威から逃れられません。そのため、もともと人間を含む動物には、集中力が持続しない(あちこちに気が散る)性質が備わっているのです。集中力は、獲物を仕留めたり敵から逃走したりする際など、ここぞというときにだけ使う能力でした。
私たちが一般的に想像する、勉強や仕事への持続的な集中というものは、自然界の脅威から守られた文明的な環境でのみ成立する特異なものと言えます。
作業興奮が起きやすい行動
先述したように、望ましい結果が得られ、かつ安心して取り組める環境ならば作業興奮が置きやすいと考えられます。
たとえば、勉強では問題集を解く活動が該当します。問題を解けることは試験に合格するために欠かせない条件であり、それができるようになることは着実な成長、つまり望ましい結果に近づいていることを意味するからです。問題集のページが進み、自らの成長を実感できれば、より作業興奮は起こりやすくなるでしょう。
同様の理由により、筋トレやランニング、あるいは読書やゲームなど、進捗が数値化され実感しやすいものは作業興奮が発生しやすいと言えます。
作業興奮が起きにくい行動
作業興奮における「作業」が具体的に何を意味するのか、明確な定義はありません。しかし、一般的に作業といった場合、それはあまり知能を使わない行動を言います。使うのは手や目、足といった身体であり、頭に強い負荷をかけない行動を指します。たとえば、車の運転は作業と言えますが、大学での研究活動は作業とは言えないでしょう。
したがって、作業と呼べない高度な知的活動は、作業興奮が発生しづらい傾向にあります。数学の勉強に例えるなら、自分の実力に適した問題集を着々と解く場合は作業興奮が発生しますが、難解な問題を解こうとすれば、そもそも手が進まず作業興奮は発生しません。
ただし、どこからが「高度な知的活動」なのかは人によって異なります。小学校低学年の子供にとっては簡単な足し算も高度かもしれませんが、大人にとっては単純作業に過ぎません。
作業興奮を活用してやる気を出すポイント
作業興奮をうまく活用するには、以下のポイントに留意しましょう。
着手が容易な環境を作る
作業興奮を発生させるには、まず作業に着手しなければなりません。ところが、この「まずやってみる」のハードルが高く、そもそも着手できないことがあります。このハードルを乗り越えられるかどうかが、作業興奮を活用できるかどうかを左右するのです。
そこで、ハードルが低くなるよう環境を整えましょう。着手するまでの手間を極力減らすことが大切です。
たとえば、資格を取得するために毎日勉強するのなら、机の上に参考書や問題集を常に置いておきましょう。本棚に収納する必要はありません。ページを開いたままにし、文房具もそのままの状態で放っておきましょう。こうすれば、椅子に座りさえすればすぐに作業を開始できるため、ハードルが低くなります。
進捗を視覚化する
望ましい結果が得られる作業は作業興奮が発生しやすい傾向にあります。そのため、進捗が明確になるよう視覚化しましょう。
具体的には、問題集を解く際には解いた回数を問題集に記録します。また、解けた問題は〇、そうでない問題は×印を付け、何度も解いていくうちに〇を増やすというのも効果的です。あるいは、日々の進捗を折れ線グラフなどで記録し、常に目に見える位置に掲示しておくのも良いでしょう。
体を動かす
身体を動かしたほうが作業興奮を発生しやすくなります。進捗を実感しやすいからです。
たとえば、資格を取るために勉強する際、寝転がって参考書を読むのはおすすめできません。椅子に座って机の上で参考書を読み、気になる部分にペンで線を入れたり、図を自分で書いて理解を深めたりしたほうが作業興奮が発生します。
作業興奮と関連のある心理学
最後に、作業興奮と関係のある心理学の概念を紹介します。
コミットメントと一貫性の原理
一貫性の原理とは、一度決めた態度や行動を変えたくないという心理的傾向のことです。勉強にせよ、仕事にせよ、ゲームにせよ、一度始めたらなかなか変えられません。
一度始めたら続くという点で、作業興奮と似通ったところがあります。一度勉強しようと思って机に付いたら、なかなかそこから離れたくなくなるのです。
一方、コミットメントとは表明により立場が固まることを指します。つまり、「自分はこのスタンスで行きます」と他者に公言することで、簡単にはそのスタンスを変えられないことを言います。
このコミットメントと一貫性の原理を組み合わせると、非常に強い束縛が生まれます。ただでさえ、一貫性の原理によって自分の行動を貫きたい気持ちがあるところに、他者に公言するという行動が加わることで、がんじがらめになるのです。やる気が出ないときは、やり切ることを公言し、背水の陣で挑むのも一つの方法でしょう。
プライミング効果
プライミング効果とは、思い込みによって結果が変わるという心理現象です。たとえば、「ピザ」と10回言った後に肘を指されたら、思わず「ヒザ」と答えてしまう例が該当します。
人の行動やそれによってもたらされる結果は、思い込みという暗示によって非常に強い影響を受けています。これは、集中に関しても例外ではありません。
「この環境なら集中できる」と思い込んでいる環境があり、その環境に身を置けば、思い込みどおりに集中力が湧いてきます。勉強机や職場の机周りをきれいにし、「これなら集中できる」と心から思える環境を整えてみましょう。
デッドライン効果
デッドラインとは締め切りのことです。そして、デッドライン効果とは、締め切りに近づくと集中力が高くなる現象を言います。簡単に言えば、焦ると集中力が湧く効果ということです。
たとえば、カップ麺にお湯を注いでから完成するまでの3~5分間で、仕事の資料や勉強の参考書に目を通してみましょう。そうすると、意外と集中できることが分かるはずです。たった数分しか残されていないという焦りが、集中力を高めてくれます。
デッドライン効果は、上手く使えば仕事や勉強を早く終わらせられます。自分で締め切りを早めに設定し、上手に自分を焦らせましょう。
ただし、自分で設定した締め切りだと、「破ってもいいや」と考えてしまい、効果が出ないことがあります。ここで生かしたいのが、先述した一貫性の原理です。家族や同僚に「○○までに終わらせる」と自分の締め切りを宣言しましょう。すると、「宣言した以上は守らなければ」という一貫性が働き、その締め切りまでに終わらせようという焦りが発生します。
まとめ
作業興奮とは、一度作業を始めると集中力が湧いてくるという概念です。作業前はやる気が出なくても、着手さえしてしまえば脳が刺激され、集中に必要な物質が盛んにやり取りされるようになります。
勉強や仕事に活かす場合は、とにかく着手する際のハードルを下げることが大切です。今一度、自分の仕事環境や勉強机の周りを見直してみましょう。