慶應義塾大学の開塾から現在までの歴史!創設者福沢諭吉は何をした?
日本で最も古い私立大学の1つである慶應義塾大学。
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日本で最も古い私立大学の1つである慶應義塾大学。しかし、どのような歴史を歩んできたのか、多くの人は知りません。慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉は何を行ったのかも気になるところ。
今回は慶應義塾大学の歴史を開塾から現在まで簡単にご紹介するとともに、福沢諭吉は何をしたのかもご紹介します。
慶應義塾大学の歴史【開塾~創立49年まで】
まずは慶應義塾として開塾された時から、開塾49年までの歴史を振り返ります。
1858年10月に慶應義塾の起源となる塾を開塾
1858年、当時中津藩の藩士だった福沢諭吉が、中津藩の命を受けて中津藩の敷地内に「蘭学塾」を立ち上げました。この「蘭学塾」が慶應義塾大学の源流にあたります。当時福沢諭吉はまだ23歳と若く、ここから慶應義塾大学の歩みが始まっていくのです。
1868年「慶應義塾」と改名
蘭学塾は1863年に「英学塾」と変わり、更なる発展を遂げます。そして、明治に切り替わる直前、1868年慶應4年に学校の場所を移転したタイミングで「慶應義塾」と改名します。慶應は元号からつけられた名前、義塾は「パブリックスクール」を日本語訳したものです。
1874年幼稚舎を創立
1871年には国からの払い下げで現在の三田キャンパスがある場所に移転した慶應義塾は、1874年和田塾を設置。和田塾という名前は福沢諭吉の門下生だった和田義郎に託されたのが理由で、子供好きで人柄もよかったことで福沢諭吉の信頼を獲得。のちに幼稚舎と改称されます。
1890年大学部を発足
1890年、文学科・理財科・法律科で構成される大学部が発足します。当時は外国人の教師が教えるスタイルとなっており、塾生の留学などを経て教員の養成を行っていくことになります。
1906年大学院を発足
1898年に大学部、普通学科、幼稚舎で構成される一貫教育が始まるなど、この時から既に現在のスタイルになりつつあった慶應義塾。1899年には塾生を海外に派遣し、野球の早慶戦も始まる中、1906年には大学院を発足します。
慶應義塾大学の歴史【創立50年~99年まで】
1つ1つが手探りで、少しずつ築き上げていった慶應義塾。ここからは創立50年から99年後までの慶應義塾大学の歴史についてご紹介します。
1907年創立50年記念式典を挙行
1901年に福沢諭吉が亡くなったものの、福沢諭吉の思いを受け取った門下生などが慶應義塾の運営にあたり、1907年には創立50周年を迎え、記念式典を行いました。三田キャンパスでは福沢諭吉への感謝を示す感謝式が行われるなど、激動の50年を振り返っています。
1917年医学科を創設
1873年から1880年まで医学所があった慶應義塾。まだ文系学科しかなかったため、いずれは理系学科の設置を多くの塾生が望む中、創立60周年を機に医学科を創設。初代医学部長は、ペスト菌を発見し、ノーベル賞の最終候補にもなっていたという北里柴三郎です。
1920年総合大学を発足
それまで帝国大学しかなかった日本において、公立と私立の大学を認めた大学令が施行。これに伴い、大学令による認可第1号として早稲田大学とともに、慶應義塾大学が抜擢されます。現在の大学の形式が整えられました。
1939年工学部の前身を創立
早慶戦が盛り上がりを見せ、国民の娯楽にまでなった時代。現在の日吉キャンパスに藤原工業大学が創立されます。慶應義塾の塾生で当時製紙会社の社長だった藤原銀次郎が私財を投じて設立した大学です。この時、矢上キャンパスの敷地も確保していましたが、実際に理工学部として移転するのはそれから33年後のことです。
1951年学校法人となり新制大学院を開設
第二次世界大戦が終わり、日本は敗れ、失意のどん底にいた1940年代から50年代。空襲による被災、キャンパスの接収などの憂き目に遭う中、1949年、学制改革で新制大学へ。日吉キャンパスが返還され、高校の整備が行われていく中で、1951年にそれまでの財団法人から学校法人と変わり、新制大学院が設置されます。
慶應義塾大学の歴史【創立100年~現在まで】
激動の時代を乗り越えた慶應義塾大学。ここからは現在に至るまでの歴史を振り返っていきます。
1958年創立100年記念式典挙行
商学部の設置など徐々に現在の学部の形が整ってきた慶應義塾大学。その中で1958年、創立100周年を迎えます。これを記念して記念式典が開催されると、昭和天皇も式典に臨席され、テレビでも放送されました。
1978年大学の学年暦を変更
学年暦はいわゆる前期と後期といったセメスター制を指しており、この時期に学年暦を変更し、4月から7月、9月から1月という2期制に改められました。
1988年看護短期大学を開設
当時は医学部の附属という形で厚生女子学院があった中、新しい看護教育を行うという名目で3年制の看護短期大学が開設されます。
2001年看護医療学部を開設
3年制の看護短期大学から、より発展的な看護教育を目指し、4年制の看護医療学部として改められました。これを機にキャンパスを湘南藤沢キャンパスに移転させ、3年次に信濃町キャンパスで実習を受ける形になっています。
2009年未来をひらく福澤諭吉展を開催
2009年に慶應義塾大学は創立150周年を迎え、「未来をひらく福沢諭吉展」が開催されました。2001年には福沢諭吉の没後100年を記念した「世紀をつらぬく福沢諭吉展」を開催しており、福沢諭吉とはどのような人物だったかを今の塾生たちも知る機会となっています。
慶應義塾大学を歴史と一緒に知りたい!創設者「福沢諭吉」は何をした人?
福沢諭吉が慶應義塾大学を作ったことはあまりにも有名ですが、福沢諭吉とはそもそもどのようなことをした人物なのか、改めて振り返ります。
「学問のすすめ」を出版
実は読書嫌いだったという福沢諭吉は現在の中学生にあたる年齢から勉強をし始め、すぐに才能を開花。漢書を徹底的に読み漁り、学問に対する興味関心を深めました。学びのためにすべてを投げ打ち、時に住み込みで学ぶ中で頭角を現し、慶應義塾の源流を作りあげました。
そして、1872年、慶應義塾と改まって数年後に学問のすすめを発表。長く続いた江戸時代のスタイルに慣れきった日本人に、これからのあるべき姿を問いかける本となり、17編の超大作となりました。
今で言うところの「啓発本」的な意味合いがあり、まだ人口が少なかった日本において、300万部以上を売り上げる超ベストセラーとなったのです。
1万円の肖像画に選ばれる
福沢諭吉は長らく1万円の肖像画となり、2024年に渋沢栄一に変更される間、およそ40年1万円の肖像画として選ばれ続けました。
選ばれた理由は1万円札にふさわしい品格があって、世界的にも知られている明治以降の文化人だったこと。夏目漱石や新渡戸稲造、野口英世、樋口一葉と文化人が並ぶ中、そのトップに福沢諭吉がおり、40年間その座を守り続けた形です。
まとめ
慶應ボーイ・慶應ガールのイメージがある慶應義塾大学ですが、その歴史は古く、1つ1つ歴史を積み重ねてきた様子が見て取れます。日吉キャンパスは被災後に接収される憂き目に遭いながらも返還されるという激動の時代を過ごしました。
福沢諭吉が蒔いた種は多くの政治家や官僚、経済界で活躍する経営者などを生み出すほか、未来ある若者に教える優秀な教員の輩出につながりました。
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